- HISTORY
- 1998年
- 大日本プロレス入団
- 同年8/23プロデビュー
- 大日本プロレス入団
- 1999年
- 初デスマッチ
- 葛西純&ジ・ウィンガーvs松永光弘&山川竜司(10月17日後楽園大会)
- 初デスマッチ
- 2000年
- CZW入り
- 大日本正規軍に反旗を翻し、CZWに電撃加入
- CZW入り
- 2001年
- 狂猿化
- この年より尻尾が生え、狂猿化が進む
- ザンディグとのCZW-JAPANを結成していたが、ザンディグを裏切りCZW-USAと結託
- CZW撤退と共に、松永光弘&BB非道と共に金髪三人組(仮)を結成
- 狂猿化
- 2002年
- 赤まむし XCT(EXTREME CHAMPION TEAM)結成
- 葛西(黄)非道(赤)ウィンガー(青)の三人で赤まむしを結成
- 他メンバーにはヘイトリッド(銀)松永(金)WX(ピンク)
- 大日本退団
- 5月の冬木軍興行にて膝を負傷し長期欠場となり8月に大日本を退団
- 猿罠誕生
- 9/23飯田橋タゴールにて、猿罠発足式が開催
- 赤まむし XCT(EXTREME CHAMPION TEAM)結成
- 2003年
- ZERO-ONE入団
- フリー参戦を続けていたが、8月に正式にZERO-ONEへ正式入団
- ZERO-ONE入団
- 2004年
- ZERO-ONE時代
- 破壊王・橋本真也の付き人生活
- ZERO-ONE時代
- 2005年
- 大日本復帰
- 1月ZERO-ONEMAX発足と共にZERO-ONEを退団
- 伊東竜二と戦いたいと、2月の大日本後楽園にて電撃復帰
- 045邪猿気違’S結成
- 6月の大日本横浜大会にて沼澤邪鬼と剃刀ボードデスマッチで対戦
- デスマッチ観に共感し、045邪猿気違’Sを結成
- 長期欠場
- 年末の大日本横浜文体での伊東竜二への挑戦権を掛けたA・小林戦を目前にした10月に腸に腫瘍が見つかり摘出手術に
- 翌年の3月まで欠場することに
- 大日本復帰
- 2006年
- 幻の王座挑戦
- 9月の大日本横浜文体で、伊東竜二が王座を奪取
- 試合後挑戦表明をするも、この試合で伊東が両腕を負傷、半年間の欠場へ
- デスマッチトーナメント優勝
- 9月にアメリカIWA ECで行われたデスマッチトーナメントに出場
- 決勝でJCベイリーを破り優勝を果たす
- デスマッチトーナメント開催
- 12月の新木場大会で、8人参加のデスマッチワンナイトトーナメントを開催
- 決勝でウィンガーに敗れ準優勝に
- 幻の王座挑戦
- 2007年
- 2度目のプロデュース興行開催
- 3月の新木場で開催
- 邪鬼とガラスボードデスマッチで対決
- プロデュース興行3連戦
- 8/15~17の3日間、新木場でプロデュース興行を開催
- 3日間超満員の観客を動員
- 再び長期欠場へ
- 11月の大日本後楽園での試合中左膝を負傷
- 半月板摘出となり、約7ヶ月の欠場へ
- 2度目のプロデュース興行開催
- 2008年
- 復帰~王座挑戦
- 復帰前から会場に姿を現し、デスマッチ王座への挑戦をアピール
- 6月に復帰するや絶大なるインパクトを残し、7月の大日本横浜大会にてシャドウWXの王座(当時)へ挑戦
- 4度目のプロデュース興行
- 12月の新木場大会で4度目のプロデュース興行を開催 これまた超満員に
- MASADAと剃刀ボードデスマッチで対決
- 復帰~王座挑戦
- 2009年
- 3度目のキ●ガイ対決
- 3月の大日本新木場で3度目の邪猿気違’S対決
- 足場から落とされたりしながらも会場を興奮の坩堝へと陥れる
- 再び欠場に
- 3月の練習中、右膝半月板損傷、前十時靭帯断裂により欠場
- 年内に伊東戦を実現させると宣言
- 復帰
- 2ヶ月のバカンスより帰ってきたと、5月の大日本後楽園大会で復帰
- FREEDOMS旗揚げ
- 9月の新木場1stRINGにて、プロレスリングFREEDOMS旗揚げ
- FREEDOMS所属となる
- 運命の対決実現
- 11月20日大日本後楽園大会で6年越しとなる対伊東竜二戦が実現
- 自身の危険も省みず、バルコニーダイブを敢行
- 2009年日本プロレス大賞並びに日本インディー大賞ベストバウトを受賞
- 3度目のキ●ガイ対決
- 2010年
- タッグ王座奪取
- 春先に行われたBJW認定タッグ王座決定トーナメントに045邪猿気違’Sとして出場
- 4月の後楽園で関本&義人組を破り第29代BJW認定タッグ王者組となる
- 後楽園進出
- FREEDOMSが6月に後楽園ホールに初進出
- ネクロ・ブッチャーとデスマッチシングル初対決で勝利
- デスマッチトーナメント開催
- 8月の新木場2DAYSでデスマッチトーメントを開催するも、決勝でMASADAに敗北
- デスマッチシングル2連戦
- 12月の横浜文体で竹田戦
- クリスマスでの葛西純プロデュースでのサミ・キャラハン欠場での対貴戦、共に勝利
- タッグ王座奪取
- 2011年
- デスマッチ一騎当千
- デスマッチ王者の伊東竜二への挑戦権を賭けたデスマッチシングルリーグ戦が開催
- 2勝2敗で決勝進出ならず
- デスマッチトーナメント
- 2年連続となる真夏の新木場2DAYSでデスマッチトーナメントが開催
- 1回戦でMASADAに敗北
- 最侠タッグ
- 秋に開催された開幕戦で関本&岡林組を破るも決勝で惜敗し、準優勝に終わる
- 決意の葛西純プロデュース
- 12月25日の葛西純プロデュースin後楽園にて石川修司とガラスデスマッチで対戦
- 2009年伊東戦以来のバルコニーダイブを見せるも、大巨人の前に玉砕
- 試合後、来夏のデスマッチトーナメントin後楽園の開催を発表、優勝できなければ引退と発言
- デスマッチ一騎当千
- 2012年
- UNCHAIN結成
- FREEDOMSに改革をもたらす為、竹田誠志・吹本賢児とUNCHAINを結成、FREEDOMS本隊に戦い仕掛けていく
- 右膝爆発
- 4月の試合中、右膝を負傷
- 検査の結果、前十字靭帯断裂
- 後十字靭帯損傷
- 内側側副靭帯損傷
- 膝関節内側の浮腫
- 内側、外側半月板断裂
- 関節液貯留
- 脛骨骨挫傷
- との診断
- 長期欠場へ
- 決意のデスマッチトーナメント
- 膝が完治しないまま、8月のデスマッチトーナメントへ強行出場
- 満身創痍の中、貴・竹田・イサミ・MASADAを破りデスマッチトーナメント初優勝を飾る
- UNCHAIN結成